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1868年6月7日、スコットランドのグラスゴー生まれる。 設計事務所で働きながら、グラスゴー美術学校の夜間でデザインとアートの勉強をした。 マッキントッシュの作品 の多くは、1896年から1910年の短期間に、数少ない後援者の助けによって作成さた。フランシス・ニューベリーの助けにより、新しいグラスゴー学校(今マッキントッシュ・ビル)を設計。 キャサリン・クランストンのために、一連のグラスゴーのティー・ルーム(Willow Tea Room)のインテリアをデザイン。 ウィリアム・ダヴィッドソンとウォルター・ブラッキーのために、「ウインディー・ヒル邸」や「ヒル・ハウス」を設計した。 ヨーロッパでは、マッキントッシュのスタイルの独創性が速く評価され、特に、ドイツやオーストリアでは称賛された。 1900年、第8回ウィーン・ゼセッション展に招かれ、ヨゼフ・ホフマンらのウィーンのデザイナーと親交を持った。 1902年、トリノ・インターナショナル展でのマッキントッシュの部屋も高く評価された。この展示は、モスクワとベルリンでも行われた。こうした成功にもかかわらず、国内での評価は高まらず、住宅設計やインテリアの依頼はあまりなかった。 1914年、グラスゴーでの成功を諦め、サフォーク海岸線上のWalberswickにマーガレットと移り住み、水彩で多くの素晴らしい作品を残した。 1915年に、ロンドンに定住。建築家・デザイナーとしての活動再開。 グラスゴーの「'Dug-Out' Tea Room」のテキスタイルや、ノーサンプトンの「バセット・ロウク邸」のためインテリアがある。 この時期デザインしたテキスタイルは、原色や幾何学的なモチーフを使用し、大胆な新しいスタイルの装飾となっている。 しかし、イングランドにおいては、そのエネルギッシュな表現や独創性は受け入れられず、注目されなかった。 1923年に、建築家としての総てを捨て、完全に風景画を描くことに専念し、フランスの南部に移り住む。 1928年12月10日に癌のためにロンドンで死去。 代表作品:ウィロー1・ヒルハウス・イングラムハイ・DS1・DS2・DS3 |
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ギャレット インテリア / Garret Interior | ||||||