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イサム・ノグチ

Isam Noguchi (1904−1988)


1904年11月17日、L.Aに生まれる。
父親は東京からの日本人詩人であった野口米次郎(後に慶應義塾大学にて英語の教授)、
母親はニューヨーク生まれでアメリカ人作家のレオニー・ギルモア。
1906年家族で東京に移り、1908年森村学園幼稚園に通う。
1910年茅ヶ崎に移り住む。
大工の見習いなどを経て、母親の意志で、インディアナ州ローリング・プレーリーのインタラーケンスクールに通うため、
アメリカに送られる。
しかし、同スクールがアメリカ軍の訓練キャンプとして利用されたため、秋に公立の学校へ通うことになる。
以後の経緯。
1924年・レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校で彫刻を学ぶ。
1927年・パリに行き彫刻家ブランクーシのアシスタントをする。
1929年・ニューヨークへ戻り、肖像彫刻の制作を始める。
1958年・パリ、ユネスコ本部の日本庭園を完成させる
1937年・ゼニス・ラジオ会社の聴取装置<ラジオ・ナース>をデザイン。
1946年・ニューヨーク近代美術館「14人のアメリカ人」展に出品
1950年・来日。慶應義塾大学で父・野口米次郎の記念室と庭園をデザイン
1964年・BM本社のための庭園を設計
1970年・大阪万博のために9つの噴水を制作
1985年・ニューヨークのイサム・ノグチ庭園美術館がオープン
1986年
第42回ヴェネツィア・ビエンナーレのアメリカ代表に選ばれる
1988年・12月30日ニューヨークにて死去


代表作品・コーヒーテーブル


ギャレット インテリア / Garret Interior



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