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ミース・ファン・デル・ローエ

Mies Van Der Rohe (1886−1969)


1886年ドイツのアーヘン生まれ。父親は、小さな石工の店を所有していた熟練石工でした。
ミースは特に建築のトレーニングを受けてがおらず、父親の工房で建築現場経験を積んでいき、土木と実業学校を卒業後、家具店でしっくい装飾をデザインしていく。1905年に、ベルリンで建築家ピーター・ベーレンスのスタジオで働いた後、1921年に独立し、オフィスビルと別荘を設計。
彼の設計の特徴は、ガラスと鉄骨(いわゆる「骨と表皮」)の高層オフィスビルである。

1926年には、シュツットゥガルトのWeissenhof住宅団地を設計。
1930年からに1933年までバウハウスで教鞭をとり、校長を勤める。

1929年には、バルセロナの国際博覧会用のドイツパビリオンを設計し(このパビリオンのためにデザインされたのがバルセロナ・チェア)、有名なブルノ別荘(1928-30)の設計も同時に行っている。
1938年、ナチスが強力になっていくドイツから逃れ、アメリカ合衆国へに移住。
ここで「国際スタイル」の代表者として歓迎される。
シカゴで設計室を開き、同年イリノイ工科大学(I.I.T)で建築部の部長になる。
1940年のキャンパスの構築の際には、特有の構造や大きな窓ガラスに基づいた設計を行う。
その後の代表的な建築としては、イーディス・ファーンズワース邸(プレーノー、イリノイ、1945―50年)、I.I.T.のクラウンホール(1950-56)、シカゴのショーア湖の通りの上の高層の居住の建物、ニューヨークのシーグラムビル(1954―58年)、ヒューストンの美術博物館(1954)、またメキシコシティのバカルディの建物(1957―61年)、ベルリンの新しいナショナル・ギャラリー(1962-68)がある。

英国建築家金メダル、アメリカン・プレジデントの自由勲章を受ける。
 「Less is more(より少ないことは、より豊かなことである)」「神はディテールに宿る」など多くの名言を残している。

代表作品:バルセロナチェアー(1929) ・ チューブラアームチェア ・ BRNOチェアー ・ ほか


ギャレット インテリア / Garret Interior



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