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柳宗理

Yanagi Souri(1915-)

  

1915(大正4年)、東京に生まれる。本名は「むねみち」。
1923年の関東大震災で、なかなか落ちつかない東京から、一家は京都に移り住み、中学卒業までを過ごすことになる。
1934年(昭和9年)宗理は東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵科に入学する。
この時、柳宗理はフランス人建築家、ル・コルビュジェの「現代の装飾芸術」を読み、感激を受ける。
その関心は絵からデザインへと移っていった。
大学を卒業、商工省の招きで来日した、ル・コルビュジェの協力者シャルロット・ペリアン女史のアシスタントとなり、全国を歩くこととなる。
彼はペリアンを通じ、「伝統と創造」というのは同じところにあると気が付く。
その後、戦争のためフィリピンへ行くこととなる。
終戦を迎え、無事帰国することのできた宗理は昭和22年から工業デザインに着手。
1952年(昭和27年)毎日新聞社主催の第一回工業デザインコンクールで第一席に入選。
柳デザイン研究会を設立した。
日本の生活にあわせたという椅子「バタフライ・スツール」や、照明、オート三輪、陸橋、オリンビックの聖火台まで幅の広い仕事を見せ、ニューヨーク近代美術館やルーブル美術館、ポンピドーセンター、ヴィトラミュージアムなどに作品が永久保存されている。
1977年(昭和52年)父宗悦の創設した日本民藝館館長に就任。
ポスターのデザイン、月刊雑誌『民藝』の表紙・グラフのレイアウトなどを今日まで続けてる。



ギャレット インテリア / Garret Interior



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