性別
製造年 1975年
血液 RH+A(多分)
特技 英検3級・そろばん8級・剣道2級・プール1級(資格は多いほうが就職に役立ちます)
趣味 創作・機械関係・内燃機・音楽関係(ベース)
資格 車の免許・オートバイの免許(男なら限定解除)
好きな言葉 お茶にしましょう。
好きな食べ物 ブラックバス
小骨の少ない部分=バスはムニエルにしバジルなどで仕上げれば絶品です。焼きはNGです。
好きな音楽 オールディーズ・ソウル・スウィング・ジャイブ・メロコア・グレンミラー・レッチリ・CCB(ココナッツボーイ)・その他
将来の夢 漢字検定(漢検)4級取得(資格は多いほうが就職に役立ちます)


■出生
1975年夏、埼玉県上福岡市で出生。
小学5年までを上福岡で過ごし県内の志木市に移住。

中学時代にエンジン、機械関係の構造に興味を持ち、拾ってきたラジオなど電化製品をばらしては改造をしたりしていた。
なので高校2年までCDラジカセなど買ったことがありませんした。
それまでの音響機器はひたすら真空管にカセットテープ、LPレコードでした。
CDとVHSに大きな憧れをもち続けておりました。

■高校時代
頭が悪すぎて高校進学は危うく、結局県内有数のバカ高に何とかひっかかる。
高校時代はK1に影響され、空手に没頭。非常に単純な動機である。
マウンテンバイクのレースにも燃えていた。週末のほとんどはマウンテンバイクで山に篭って、いろいろなレースにも参戦。

■浪人そして大学へ
バカ高校を卒業後、学力的に大学に進学できるわけでもなく、また極端に悪い視力のせいもあり、幼い頃からの夢でもあった航空自衛隊では受け入れてもらえず。
1年間独学で昼には「いいとも」「ごきげんよう」を見ながら勉強し(午後のロードショーも)、英語と政治経済のみで試験に挑む。
そして、東京?際大学経済学部にまぐれで合格。

■大学時代とアメリカの大地
基本行為ではあるが、大学で学業には専念せず、バイトで手にした小額を手に、定期的にアメリカへ飛ぶ。
大好きなインディアンジュエリー、革製品、自動車部品を日本に持ち帰り、販売していた。
旅は車で寝泊りしながらパスポートの滞在期限ギリまで続けられた。
旅とはプチルンペンになることである。本物ルンペンであれば尚更評価は高い。
贅沢は敵です。

日本では時々、黒人の加藤さん(ウガンダ人)とポンコツ車のブローカーもしていた。
ブローカーというと響きはよいが、ただ廃車寸前の商用車を買い叩いてきて、それを加藤さんがウガンダに輸出するということである。
アフリカではこれがまたよく売れるらしい。
あとはバイトでコンビニや工場、トラックの運転手まで色々とやりました。

■そして卒業、就職??
5年間の大学生活の後、卒業。某商社に内定が決まる。
頭は悪いながらも、いちおう英語でコミュニケーションがとれ、アメリカの土地、人間をそこそこ知っているのが武器となった。
だが突然アメリカの大地が目の前に折立ち、キャンセル。というか話は無かった事に・・・・。
私を採用してくれ、数十分の付き合いの中で私を少しでも理解してくださった I 商事のHさん、本当にすみません・・・。

■放浪の血が騒ぐ
やはりアメリカはいい!!
ポンコツワゴンで大地を疾走する、「解き放たれる」とは正にこのことかもしれない。
どこへ行くにも、どこで寝るのも自分次第。
地球上のちっぽけな一生物が自由を手にした瞬間である。期間限定ではあるが。
今でさえ確信できる放浪者になった瞬間だった。

■職人時代
帰国後、突然内装屋で仕事をしたくなり、東京都大田区蒲田でせっせと内装業の職人をやっていた。
一日平均13時間以上の労働は決して楽ではなかった。親方は恐ろしかったし・・・。
でも親方は最高の技術をもっている正真正銘の職人であった。
修行後、細かい経緯は抜きにして、土地家屋調査士(実家の本業)の手伝いをしたり、神奈川の友人の設備業の手伝いをさせてもらっていた。

■開業
群馬県高崎市で内装屋時代に貯めた、想像を絶する微々たる資金でアンティークや雑貨の店をはじめる。
店の広さはわずか8坪ほど。でも充分だった。

きっかけは大学時代の親友がこの土地でカフェをはじめるとのことで、内装を手伝いに来た時、たまたま隣が空いていたので借りてしまった。家賃も負けてくれたし。
なにより死ぬまでに一度は主をやってみたかったというのが理由。
必要以上にむなしさを感じる隙間風だらけのぼろアパート生活も醍醐味のひとつとなっていた。
お店閉店後は、時々都内周辺まで車を飛ばし、再び神奈川の友人の設備業の仕事を夜間や早朝に手伝いながらなんとか家賃と生活費を稼ぐ。


この仕事のいい所は、自分でいいと思ったもの、欲しいと思ったものを仕入れできるという、正に自己満足的な気分を味わえるかなと思いました。それだけではありませんが・・・。
でも好きなことで生活するというのは非常に大変なことです。
決して甘い世界ではないというのも実感。
ランボルギーニジャパン様や光岡自動車様、その他多数の方々にお仕事をさせていただきました。
そしていつの間にか雑貨屋さんから家具屋さんとなっておりました。
群馬の方々にも大変お世話になりました。

2005年春に神奈川県横浜市へ。
現在に至る。
店は落ち着いた雰囲気(?)で、訪問者が長い出来る静寂なスペースが前提です。

沢山の熱い人間にも囲まれてクリエイティブなお仕事もさせていただいております。
正に人に恵まれ、人に支えらております。
そんな気持ちに答えるべく、「自分がされて嫌なことはしない」をテーマに頑張っております。
社会でも商売でも学校でも、どこでも至ってシンプル。人対人、これが基本のように思えます。

発展途上なので更なる努力をしなくてはいけない今日この頃です。



トップ画像は若き日の写真です。





GARRET INTERIORとの営業との直接的関わりはございません。